東京高等裁判所 平成7年(ネ)3078号 判決 1996年5月28日
控訴人
山崎産商株式会社
右代表者代表取締役
山崎慶市郎
右訴訟代理人弁護士
坂本兆史
被控訴人
山崎幸成
右訴訟代理人弁護士
込山和人
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は、控訴人の負担とする。
三 被控訴人の請求の減縮により、原判決主文第三項は、次のとおり変更された。
「控訴人は、被控訴人に対し、金四九六万六九三四円並びに平成六年一〇月一八日から原判決主文第一項の明渡済みに至るまで一か月金一七七万一二〇〇円の割合による金員及び同月八日から同第二項の明渡済みに至るまで一か月金二五万四六〇〇円の割合による金員を支払え。」
四 原判決主文第一ないし第三項(第三項は、右のとおり変更されている)は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
二 被控訴人
1 控訴棄却(ただし、原判決主文第三項の金員の支払につき、本判決主文第三項のとおり請求を減縮した。)
第二 当事者の主張
次のとおり付加、訂正するほかは、原判決と同じである。
(被控訴人の請求の減縮に関する主張と原判決の訂正)
1 平成五年一二月一日に、被控訴人は、控訴人から本件倉庫の六階部分の返還を受けた。その際、被控訴人と控訴人との間では賃料の減縮についての明示の合意はなく、控訴人は従前どおり月額一〇〇万円の賃料の支払いを継続した。
2 本件倉庫の延床面積は、671.366平方メートル(登記簿上は672.46平方メートルであるが、控訴人に有利な賃貸借契約書の面積による)、六階部分の面積は、76.80平方メートルである。したがって六階部分の倉庫全体に占める面積の割合は、11.44パーセントであり、この分を控除すると控訴人が引き続き占有している一階ないし五階の賃料(当初の額)相当の損害金は、月額八八万五六〇〇円となり、支払約束に基づく使用損害金は、その倍額の月額一七七万一二〇〇円となる。
3 右1、2、の事実により、原判決請求原因七の1の本件倉庫分の未払賃料、賃料相当損害金合計「四五四万八三八六円」を「四五一万一四八三円」と、請求原因七の1(二)の同倉庫分の賃料相当損害金「三二万二五八〇円」を「二八万五六七七円(八八万五六〇〇円×一〇/三一)」と、請求原因八の、控訴人に対し支払いを求める未払金合計「五〇〇万三八三七円」を「四九六万六九三四円」と、本件倉庫についての明渡済みまでの賃料相当損害金一か月「二〇〇万円」を「一七七万一二〇〇円」と、それぞれ訂正する。
(控訴人の当審における主張)
一 解除権発生の障害事由
控訴人は、建築付属金物の製造及び販売等を目的とする株式会社であるところ、平成五年四月一二日、控訴人の専務取締役であった被控訴人に対し、自動車一台(トヨタ・アリスト・3L・ムーンルーフ付、「以下本件自動車」という。)の使用を許し、引き渡した。被控訴人は、平成六年五月三一日、控訴人を退職したが、本件自動車を返還しない。控訴人は、被控訴人に対し、本件自動車の引渡請求権を有するとともに、本件自動車の返還を受けられないことにより、本件自動車の査定落ち分六一万八〇〇〇円、税金保険料五七万二三〇〇円の合計一一九万〇三〇〇円の損害を受け、本件自動車を返還すべき日の翌日である平成六年六月一日から本件自動車引渡ずみまで一か月四〇万二〇〇〇円の割合による使用損害金債権を有している。また、控訴人は、被控訴人に対し、被控訴人が控訴人を退職した後、自ら事業を行う資金として、平成五年一二月二七日、五〇〇万円、平成六年四月二八日、五〇〇万円を、いずれも期限の定めなく貸し渡した(以下「本件貸金」という。)が、平成六年一〇月三一日到達の書面で本件貸金の返還を求めたから、被控訴人に対し、本件貸金一〇〇〇万円と期限の翌日である平成六年一一月一日から支払い済みまで年六分の遅延損害金債権を有している。さらに控訴人は、被控訴人に対し、本件倉庫六階の使用を許していたが、被控訴人は退職後も本件倉庫六階を返還しないので、控訴人は、被控訴人に対し、本件倉庫六階の明渡請求権を有するとともに、平成六年六月一日から本件倉庫六階明渡済みまで一か月一七万円の割合による使用損害金債権を有している。控訴人は、被控訴人が前記各債務を履行するまで、平成六年六月一日から本件倉庫、本件事務所の賃料の支払いを拒絶しているもので、控訴人の賃料不払いには条理、信義則上の正当事由があり、本件賃貸借の解除権は発生しない。
二 商事留置権
仮に解除権が発生したとしても、控訴人は、被控訴人が前記各債務を履行するまで、本件倉庫、本件事務所につき商人間の留置権(商法五二一条)に基づき留置権を行使し、引渡を拒絶するものである。商人間の留置権の根拠としては、控訴人が商人であることはいうまでもないが、被控訴人も、営利の目的をもって反復継続する意思のもとに、利益を得て賃貸する意思をもって不動産を有償で取得し、取得した不動産を賃貸してきたのであるから、右行為は投機貸借及びその実行行為として営業的商行為に該当し、被控訴人は「自己の名をもって商行為をなすを業とする者」として商人に該当する。不動産についても商人間の留置権が成立することはいうまでもない。
三 請求の減縮に関する主張について
本件倉庫六階部分を平成五年一二月に控訴人が被控訴人に返還したことを否認する。控訴人は、取締役部長である被控訴人に対し、本件倉庫六階の使用を許諾したにすぎない。だからこそ、賃料の減額をすることもなく、従前どおりの額を控訴人が支払っていたのである。
(被控訴人の当審における主張)
一 解除権発生の障害事由について
控訴人の主張する各請求権、債権の存在及び賃料不払いに正当事由があるとの主張は争う。本件貸金や本件自動車引渡請求権の期限は未到来であり、被控訴人は、被控訴人が控訴人に対して有する退職慰労金債権と本件貸金、本件自動車代金債務とを相殺している。
二 商事留置権について
被控訴人は商人ではないから、商人間の留置権は発生しない。すなわち本件倉庫、事務所は、控訴人に対してのみ賃貸する目的で購入したものであり、投機貸借に該当しないし、本件貸金や本件自動車の使用許諾も、双方のため商行為たる行為によって生じたものではない。控訴人が留置権を主張するのは権利の濫用というべきである。
第三 当裁判所の判断
一 請求原因について
請求原因一ないし六の事実(本件倉庫及び本件事務所の賃貸借、賃料不払及び賃貸借解除の事実)は、当事者間に争いがない。
二 解除権発生の障害事由の有無
控訴人は、被控訴人が本件貸金債権、本件自動車引渡請求権などにつき義務を履行するまで、条理、信義則により、賃料支払いを拒絶しうると主張する。しかし、弁論の全趣旨によれば、控訴人は本件自動車引渡や本件貸金の返還を求めて、東京地方裁判所に訴訟を提起しており、被控訴人も貸金請求事件に対して、退職慰労金の支払いを求める反訴を提起し、現在同裁判所で審理中であると認められる。このように控訴人、被控訴人間において本件貸金や退職慰労金等の債権債務の有無に関し紛争があるときに、控訴人が一方的に賃料の支払いを停止しても、賃料不払いにつき条理、信義則による正当事由があるとはいえない。また、控訴人主張の貸金債権及び自動車引渡に関する債権は、本件倉庫及び本件事務所との牽連性がないから、賃料支払と同時履行の関係にたつものではない。なお賃貸借契約が、賃料不払のため適法に解除された場合には、その後賃借人の相殺の意思表示によって右賃料債務が遡って消滅しても、契約解除の効力に影響はないものと解すべきである。本件賃貸借契約の解除前に控訴人が相殺の意思表示をしたことについては、主張立証はない。したがって仮に控訴人主張の債権があるとしても、解除権発生の障害事由には該らず、本件契約の解除の効力に影響はない。
三 商人間の留置権について
先ず、不動産について商人間の留置権が成立するか否かについて判断する。商人間の留置権は、民法上の留置権とは沿革を異にし、中世イタリアの商人団体の慣習法に起源を有するものといわれており、ドイツ旧商法及び新商法がこれを明文化したものである。ドイツ旧商法で商人間の留置権の対象となるのは有体動産に限られ、不動産を含まないことは、当時のドイツの判例上確定した解釈であり、これをふまえてドイツの新商法三六九条は、商人間の留置権の対象を「動産及び有価証券」と規定した。わが国の旧商法はドイツ旧商法を模範として立案されたものであり、現行商法は、旧商法につき法典調査会において修正を加えて成案が作成され、明治三二年に制定されたものであり、商人間の留置権に関する二八四条の規定は、昭和一三年の改正で現行の五二一条に引き継がれた。そしてわが国の競売法(明治三一年制定。昭和五四年民事執行法の制定により廃止)は、民法(明治二九年制定)及び商法(明治三二年制定)と併せて起草されたものであり、留置権者に競売権を認めたのであるが、動産については「留置権者……其他民法又ハ商法の規定ニ依リテ其競売ヲ為サントスル者ノ申立」によって競売する旨規定した(三条)のに対して、不動産については「留置権者……其他民法ノ規定ニ依リテ其ノ競売ヲ為サントスル者ノ申立」によって競売する旨規定した(二二条)のであり、動産については、商法の規定によって競売すべき場合があるが、不動産については、商法の規定により競売すべき場合はないものと解されていた(明治三三年五月二六日民刑第七九九号民刑局長回答)。そして商人間の留置権は、その沿革に照らすと、当事者の合理的意思に基礎を置くものと考えられるのであるが、商人間の商取引で一方当事者所有の不動産の占有が移されたという事実のみで、当該不動産を取引の担保とする意思が当事者双方にあるとみるのは困難であり、右事実のみを要件とする商人間の留置権を不動産について認めることは、当事者の合理的意思に合致しない。また登記の順位により定まるのを原則とする不動産取引に関する法制度の中に、目的物との牽連性さえも要件としない商人間の留置権を認めることは、不動産取引の安全を著しく害するものであって、法秩序全体の整合性を損なうものである。以上のような制度の沿革、立法の経緯、当事者意思との関係及び法秩序全体の整合性を合わせ考えると、不動産は商法五二一条所定の商人間の留置権の対象とならないものと解するのが相当である。したがって控訴人の商事留置権の主張は、主張自体失当である。
なお、商法五二一条は、商人間の留置権の対象を「物又ハ有価証券」と規定していることから、不動産を除外するものではない、とする裁判例も存在するので、控訴人主張の債権が、商人間においてその双方の為に商行為たる行為によって生じた債権に該当するか否かについて判断する。控訴人は、被控訴人が利益を得て賃貸する意思をもって、不動産を有償で取得し、賃貸してきたのであるから、被控訴人の行為は投機貸借としての営業的商行為であり、被控訴人は不動産賃貸の営業を行う商人であると主張する。しかし、成立に争いのない甲二二号証の一及び弁論の全趣旨によれば、控訴人代表者は被控訴人の兄で、被控訴人は控訴人の専務取締役であったが、被控訴人は父親から相続した土地に、控訴人に貸与する目的で本件倉庫を建築し、控訴人にのみ貸与してきたこと、本件事務所も同様の目的で取得し、控訴人に貸与してきたことが認められるから、被控訴人の本件倉庫、事務所の取得と貸与は、反復継続して、利益を得て賃貸する意思をもってなされたものではなく、商法五〇二条一号所定の賃貸のための投機取得、その実行行為としての賃貸とはいえない。他に被控訴人が商人であり、付属的商行為として本件倉庫及び本件事務所を控訴人に賃貸したことについての主張立証はない。したがって、この点からも控訴人主張の商人間の留置権は認められない。
四 本件倉庫六階の占有状況と未払賃料及び損害金
成立に争いのない甲一ないし三号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は本件倉庫六階を平成五年一二月一日に被控訴人に返還したこと及び被控訴人主張どおりの未払賃料及び損害金が発生したことが認められる。
五 結論
以上の事実によれば、減縮後の被控訴人の請求は全て理由があり、本件控訴は、理由がないから棄却し、請求認容部分については職権で仮執行宣言を付することとする。
(裁判長裁判官篠田省二 裁判官淺生重機 裁判官小林登美子)